「インターネット」というもの - 検索と自由な情報発信の功罪


大仰なタイトルですが.

今回の結論は,「ネット上の情報を評価・判断できる素養を身につけることが必要」で,「書籍や学術雑誌をきちんと読むことは基本」だということです.

いまや何でもかんでも「ネットで」という時代になってしまいました.連絡はなんでもかんでも電子メール,情報はネットで検索,これが今流のようです.およそ10年前,電子メールを使いはじめたころはメールもほんとにポツポツとしか来ませんでしたし,書きませんでした.なんといっても,アドレスを持っている人が少なかったので.そのころはインターネットはほとんどヲタクのおもちゃ扱いされていたのですが,当時からは想像もできない世界になってしまいました (苦笑).

今や「インターネット」は誰でも使える,情報チャンネルのひとつとなりました.つまり,テレビやラジオ,新聞,雑誌,書籍などと同じような意味を持ってきています.もっともこの場合の「インターネット」とは,要するに「World Wide Web (WWW)」のことであり,より古い歴史を持つ anonymous ftp や gopher はちょっと違います.後者は事実上滅んでいますし,前者を,いわゆる「情報発信」の手段で使っている人はほとんどいなくなったでしょう.ここで書きたいのは,別にネットそのものの技術的な話ではありません.ネットで見つかる情報についての (現状での) 捉え方,受け手の姿勢,のようなものです.

さて,今や誰でも WWW を使った情報発信ができるようになりました.無料で使えるホスティングサービスなど,いくらでもあります.どこかのプロバイダと契約すれば,5MB や 10MB のスペースは必ずついているといってもいいでしょう.その気になれば自宅のコンピュータを常時稼働させてサーバにすることだってできます (実際,僕もやってますし).そして,そこに公開されている情報の総量は,今や誰にも全貌が把握できないまでに巨大化しています.誰がこんなのを見るんだろう? というような情報から,非常に役に立つ情報まで,玉石混淆,何でもアリの世界です.

加えて,今は検索技術が進歩しました.Google に代表される検索エンジンは極めて強力で,瞬時に世界中から情報を探し出してきます.図書館で本を読んだり,文献を漁ったりするよりずっと効率的に思えます.

情報収集も,個人レベルの趣味や生活上のものなら,WWW を利用するのはいいでしょう.おもしろいし,意外な発見があったりもします.しかし,学術的な話はどうでしょうか.大学の課題,卒研のための関連データ集め,そういうものに,WWW は有効なのでしょうか.

結論からいうと,現状で WWW を使ってその手の情報を集めるには,まず受け手が検索対象の事柄について相当の知識や経験を持っていないとだめなのです.

WWW 上の情報のほとんどは,個人が自由に発信しているものです.それはそれでいいことですが,裏を返すと誰も内容の保証をしてくれないし,誰の目も経ていません.つまり,嘘八百でも何でも,書きたい放題だということです.書いてあることを判断,取捨選択できるなら,情報源として貴重でしょうが,判断がつかないことを盲目的に信じると痛い目にあいます.会社のホームページは会社の宣伝目的で作っているので,その内容の公平性,信頼性の程度はおおむね見当がつきます (とはいえ,超有名大企業のサイトでも,どうしようもない内容のものはいくらでもありますが).大学教官のサイトだって,あてにはなりません (自爆).

同じことは掲示板にも言えます.いくつかの掲示板を覗いてみると,学問系の質問などが書かれているものもあります.多くの掲示板では,質問する人もそれに答える人も匿名での書き込みが可能です.実際,質問の多くはその辺の教科書にそのまま書いてあることや,講義で当然やっているはずのことで,試験前やレポート対策で質問をしているのが露骨にわかるものも数多く見られます.同じ講義を取ったと見られる複数の人から同じ質問が並んで出ているときなど,失笑を禁じえません.回答の書き込みを見ていると,一から十まで全部答えてしまうもの,ヒントだけのもの,教科書を読めと一蹴するものなど,いろいろですが,僕にわかる範囲だけでも明らかに嘘だったり,回答している人自身がわかっていない場合も散見されるのです.これらは学問系に限らず,あらゆる匿名掲示板に言えることではありますが,趣味などであれば笑ってすませられても,こと勉強中の学生にとっては,とてもじゃないですが「インターネットがあるから大丈夫」などとは言える状況ではありません.

書籍,学術雑誌などは,もちろん間違った内容が書かれていることも多々ありますが,少なくとも第三者の目が入ってから公開されていることが基本ですから,ここまでひどいことになる可能性は低いのです.そして,ゆっくりと書いてある内容を咀嚼し,考えながら読むには,書籍はやはり効果的な媒体なのです (だからこそ「紙のように見やすいディスプレイの研究」などというものがさかんに行われているし,ちょっとやそっとのことでは紙の書籍や印刷物が世の中からなくなることはない,と考えられている).

その一方で,WWW では書籍などではできない,新しい情報掲示法が使えます.たとえば動画や,VRML などを使ったサンプル呈示などは,いい例でしょう.多様な表現方法を利用でき,それを短時間に,誰にでも閲覧可能な形で提供できるという点では,WWW はまだまだ可能性を秘めているでしょうし,今後も利用は進むでしょう.しかし情報の精度を吟味する姿勢,それを判断できる素養なども同時に養わないと,何の意味もありません.

もうひとつ大事なことは,情報を得るための労力を払え,ということです.それなりに苦労して探し出し,読み切った文献の内容は,やはりよく頭に入ります.しかし,簡単に検索サイトで見つかった内容はどうしても斜め読みが多くなります.これは理屈ではなく,人間の自然な心理でしょう.そして,そういうことの積み上げが,労力を厭うことにつながり,勉強も研究も深みのないものにしてしまうことに繋がりかねないと思うのです.

Web での情報探しもいいでしょう.でも,書籍情報などにも随時触れてください.情報の精度を自分で判断できるだけの地力をつけてください.

(2003.3.25)