ノートを取るということ

今回のお題は記録の重要性

学生実験とかを見ていていつも思う (というか,口うるさく注意して回っているわけですが) ことに,テキストの余白はノートではない!

ノートを作るように言っても,そのノートはルーズリーフだったり,レポート用紙の切れ端だったりしますしね.しかし,作業記録というのは非常に重要なのです.記録を取るということ自体が,学生実験における重要な訓練の題材でもあるんです.
昨今のデータ捏造疑惑とかでもそうですが,もし研究者側が自分のデータが正しいと主張するなら,第一に根拠にすべきは実験なりの記録でしょう.これが適切に残されていないのであれば,証明は再実験以外になくなってしまうわけです.

知的財産がらみでも,プライオリティ (優先権) を主張するためには,とくに先発明主義のアメリカなどでは,実験記録がきちんと残っていることは絶対条件である.したがって,自分がどういうことをやって,どういうデータが出てきたかをその場で確実に記録に残すことは重要というか必要なのです.

実験データをさらに解析して何かを導き出すときも,その思考過程等も記録に残すべきです.簡単な解析ならノート上でできることも多いでしょう.そういうことのためにも,記録のノートには十分な余白を残しておき,必要に応じてどんどん追記すべきです.もちろん,記録とその後の追記等が区別できるようにすることはいうまでもありません.また,実験中も消しゴムで消して書き直すべきではありません.ページはいくら使ってもよいのですから,間違えたら×印でもつけて別のページに書き直せばよいわけです.むしろ書き換えが可能であるような記録の方が問題で,書き換えたらそのことが明白な痕跡として,そして何をどう変えたかがはっきりと残るようでなければ証拠価値は下がってしまいます.

そういう意味では紙のノートにボールペン書きというのが最強ですかね.鉛筆は改ざん可能性が高いし,万年筆や水性サインペンは水で読めなくなる可能性があるし (化学分野でなくても雨に濡れるとかはありうるのだから).そしてルーズリーフのように記録が散逸しやすい形でなく,ノリや糸できちんと綴じられたノートがより望ましいわけです.
ソフトウェア等でも事情は本質的に変わりません.しかし,プログラミングのときなどはノートに記録を残すのは必ずしも適当とはいえないかもしれません.もちろん,肝心のことはやはりメモに残しておくべきですが,ソースにコメントの形で埋め込む,履歴管理システムを活用するなどでもかなりの効果を上げることができるでしょう.

重要なのは「適切に記録を残す」ことです.記録を甘く見てはいけません.記録を取るのも,意識していないとできないものです.

(2006.5.23)